会長挨拶
人類の歴史は感染症や自然災害との格闘史であるとも言えます。約100年前のスペイン風邪は、今や治療法が確立した季節性インフルエンザとなりました。今回の新型コロナウイルスも次々と変異株が出現しているものの、早晩、治療薬や予防法が確立されることでしょう。現に、mRNAワクチンという核酸分子を用いる新しい医薬が驚くべきスピードで開発・承認され、我々を窮地から救いました。
生物の進化の過程を分子レベルでみると、遺伝の本質を担う核酸分子=DNAの進化の過程であるとも言えます。そして、その進化を加速したのがウイルスであるという仮説があります。生物が進化してウイルスに対抗できるようになると、ウイルスも突然変異により、それに対抗する手段を獲得し、勢力を拡大します。ウイルスと宿主となる生物の数十億年にわたる格闘が双方の進化を促してきたと言えます。動物界に存在する遺伝子にはウイルス由来と考えられるものが数多く知られています。生物は時としてウイルスから遺伝子を受け取り、自身を進化させてきたのでしょう。
近年盛んに応用研究が行われているゲノム編集技術では、CRISPR/Cas9システムが用いられますが、CRISPR/Cas9は、本来、微生物が有する外来性ウイルスやプラスミドへの適応免疫システムとして発見されました。また、近年医薬として実用化されたsiRNAは、RNA干渉(RNAi)を引き起こす二本鎖RNAですが、RNAi 機構は多くの生物種で保存されていて、その生物学的な意義としてはウィルスに対する防御機構として進化してきたという仮説が提唱されています。すなわち、これらのシステムは、生物がウイルスとの戦いにおいて進化の過程で獲得した核酸分子が主役として働くシステムであると言えます。
生命の起源をRNA分子に帰するRNAワールド仮説は、40億年前の原始地球において、触媒活性をもつRNA分子(リボザイム)が生命誕生の鍵を握るというものです。RNAという核酸分子が長い年月をかけて分子進化して生命誕生に至るというシナリオを科学的に証明することは困難ですが、極めて魅力的な仮説です。今、我々は、試験管内分子進化法(SELEX法)を用いて、短時間で分子を進化させ、望みの機能をもつ核酸分子を獲得することが可能な時代になりました。一方、冒頭に述べたmRNAワクチンをはじめとする核酸分子を医薬として用いる研究の中でも、人間が核酸分子を化学修飾により体の中で薬として働く分子に“進化”させています。これらの核酸分子の進化は“核酸化学の進化”の氷山の一角に過ぎません。私は生命の本質である核酸を対象とするサイエンスの進化が人類の明るい未来を拓くものと確信しています。
ポストコロナの時代に向けて、日本核酸化学会は世界を繋ぎ、分野を繋ぎ、時代を繋ぐという3つの“繋ぐ”を基本理念とし、社会と時代の要請に応じた最先端の研究成果の社会への還元と、次世代を担う優れた人材の育成を目指して活動を続けて参ります。
日本核酸化学会
会長 和田 猛
東京理科大学薬学部